摂食障害克服に向けて受診した結果/号泣した

過食嘔吐に悩まされて10年以上が経過しました。
どんどん過食頻度も増えてきていて、このままではだめだと自分を鼓舞して、精神科の予約をとるところまで動き始めることができました。
摂食障害克服に向けて、ようやくスタート地点に立てたような気がします。
予約が取れるまで大変だったけれど、その山を越えてしまえばあとは行くだけ。
それがまた緊張するんですが、せっかく苦労して予約をしたんだから行かないわけには行きません。
実際に受診してみた感想をお伝えしたいと思います。

まずは問診票の記入から

予約の時に初診時は30分程度時間がかかることと、問診票があるため15分ほど前に来てくださいとのことでした。
はじめての場所って必ずと言っていいほど迷子になるほどの方向音痴なのですが、今回も駅を降りてから10分程度さまよいました。
私にはスマホという文明の利器を無効にする力があるみたいです。

ようやくたどり着いて中に入ってみると誰一人として居ませんでした。
「人気ないのかな…」「ハズレかな…」なんて悪い予感を抱きながらも案内されるがまま問診票を記入。
問診票は症状の頻度やいつ頃から悩んでいるのか、性格に関する質問など様々。
記入が済んだら誰も居なかったこともあり、すぐに呼んでいただけて、さっそく診察が始まりました。

ごあいさつ

診察室に入って、先生とあいさつは簡単に済ませてから椅子に座るよう誘導され、最初にかけられた言葉が

「過食を治したいですか?」

という質問。
「なんでこんなことを聞くんだろう」、「治したいからここに来たのに」なんて思いながらも「はい」と返答すると

「じゃあ治しましょう!」

と力強くおっしゃってくださいました。
なんというか、それだけでも救われたような気持ちになりました。
今まで家族以外の誰にも言えず、最近は家族にも話していなくてずっと1人で抱え込んでいる気持ちでいたのですが、治すために一緒に頑張ってくれる人が居るのかと思うと安心感に似た、心温まるプラスの感情が沸き起こりました。
若干このあたりから涙腺が緩み始めて、こらえるのが大変でした…。笑

余談ですが、特に何も悪いことは言われていないのに、人と話していると目に涙があふれてくる謎の現象が幼いころからあって、悩まされてきました。
大人になってからも同じで、特にストレスで押しつぶされそうになっているときになります。
もう大人だから人前で泣きたくないのに、自然と涙があふれてくる現象。
私だけなのでしょうか…。

そこからは問診票に記入した内容を確認しながら私の現状をなんとなく把握され、「今から人の考え方をこのメモに書きながら説明しますね」とおっしゃってペンをとられました。

「人の行動には必ず肯定的意図がある」

まず1枚目のメモ用紙に書いてくださったのは「人の行動には必ず肯定的意図がある」という言葉。

一見否定的意図がありそうな「過食」という行動には、不安や寂しさを紛らわして安心感を得ようとしたり、ストレスを解消して無心になろうとしていたり、何かプラスの目的があると説明してくれました。
今の私は肯定的な何かを得ようとして、「過食」という行動を繰り返しているということです。
確かにそこには納得がいくし、自分でもわかってはいました。
漠然とした不安や寂しさ、ストレスを感じて、ストレス発散の行動が「過食」になっているという自覚もありました。
これからは過食という行動ではなくて、他の行動で安心感や達成感などの肯定的な感情を手に入れることが大切だとおっしゃられましたが、それも頭ではわかっているんです。
それができないから困っているんだと思ってしまいました。
ただ、先生が続けておっしゃられた言葉は自分の中では意外なものでした。

「過食以外の行動が生産性のないものでもいい」
「自分が癒されるという動画を見るだけでもいい」
「それが食事でもいい」
「高級なチョコレートを買って、おいしいコーヒーを淹れてゆっくり飲むだけで心が満たされるかもしれない」

私は「過食」以外の行動でプラスの感情を得るためには、なにか生産性のあるものだったり、食事以外のものにしないといけないという決めつけがあったことに気づかされました。
「食事から離れてなにか意味のあることをしないといけない」というプレッシャーを無意識のうちに自分にかけてしまっていて、それがまたストレスになって過食を繰り返すことになっていたのだと思います。
「生産性がなくてもいい」「食事でもいい」という言葉は、私にとっては新しい発見というか、「そんなに頑張らなくていい」と言ってくださっているような気がして、いつからかずっしり乗っていた肩の荷が少し下りたような気がしました。

過食することは悪いことではない

そして先生は「過食は悪いものではない」とおっしゃられました。

「過食を悪と決めつけず、過食があるから精神のバランスがとれている」
「過食ちゃんに感謝することも必要です」
「逃げ場を作ってくれている過食ちゃんをかわいがってあげてください」

今までの私は「過食」は悪者だと決めつけていました。
「なくなる」ことだけを考えていたのですが、過食以外のストレスのはけ口がないまま過食をゼロにしようとすると、ストレスが溜まっていく一方で、結局過食頻度が増えてしまう。
過食をすぐにゼロにしようと思うのではなく、少しずつ減らすイメージを持つことが大切だそうです。

「過食をしてしまっても心のバランスをとるための行動だと思ってください」

過食という行動だけでなくて、「過食をしている自分」が悪者だと決めつけていたけれど、そんな自分も受け入れて良いんだと驚きと安心感を得ることができました。
「こんな私も受け入れてくれる人がいるんだ」と思えました。

「人間の脳は否定文を処理できない」

「過食をしなくなりたい」という言葉は「過食」の方に意識が向いてしまっている状態だそうです。
たとえば、「時計を絶対に頭の中に思い浮かべないでください」と言われると自然と思い浮かべてしまうし、「空調の音を聞かないでください」と言われると逆に気になってしまったり。
「過食しちゃだめ」と考えれば考えるほど食事のことが頭に浮かんでしまう。

思い返せば私の日中の頭の中は「今日は過食しないぞ」と思う気持ちばかり。
仕事中も頭の中は「過食」や「食べ物」のことで頭がいっぱい。
「今日の夜は何を食べようかな」という普通の感情ですら抑え込もうとしてしまっていました。
午前中までは「過食しないで過ごせそう」と思っても、退勤が近づくにつれて「今日は何を買って帰ろうかな」「今日はしょうがない」という感情に変わっている。
気付いた時には、帰り道にスーパーやコンビニに寄っているのです。
先生は考え方を変えるだけで良いとおっしゃいます。

「本当に送りたい毎日を送りたい」

そう思うだけ。
自分が理想とする毎日は何なのか。
そこを明確にする必要があるそうです。

「送りたいと思う毎日に過食はありますか?」

そう問われましたが、答えはもちろん「NO」です。
普通に食事を楽しんで、笑顔で毎日暮らしたい。
そんな当たり前のようなことが、今の私にはできなくなっているのです。

理想とする未来ではどんな生活を送っているのか。
笑顔な自分はなにをしているのか。
想像力を膨らませていく必要がありそうです。

自分のことを好きになる

「自分のことは好きですか?」

こう問われたときに首を横に振りました。
「過食をしている自分」が嫌いだし、思い通りに行動できない自分も嫌い。
ただ、先生は自分のことを好きになる必要があるとおっしゃいます。

「たとえ良い方に前進していたとしても、自分のことが嫌いだと何かだめな個所を見つけては自分を責めてしまいがち」
「自分で自分を追い込んで、押さえつけて、せっかくの前進を停止させたり、後退させてしまって、結局前へ進めなくなってしまう」

先生は自分で自分を押さえつけるようなジェスチャーを交えて力強く伝えてくださいました。

「自分を好きになってあげてください。」

こう説明されたときに、今までなんとかこらえていた涙がどっと溢れました。
止めようとしても止まりませんでした。
人前で、ましてや初対面の人の前で号泣したことなんて大人になってからないけれど、どうにもこらえることができませんでした。

「自分の1番身近に居る存在は自分」
「自分を認めてあげられるのも自分」
「自分が自分を好きでいられたら、他人から何を言われても平気」
「自分のことを悪く言う人が居たら、「私にそんなこと言うなんて変わってますね」と思える」

そんな言葉もかけてくださいました。
結局は自分を愛してあげたり、認めてあげる力が人よりも欠けているんだと思います。
なにかあっては人と比べてしまって、「あの人より自分は劣っている」と感じてしまう。
「あの人はあんなにスタイルがいいのに、どうして私はこんな身体なのか」、「同じ身長だけれど絶対私の方が体重が重いはず」、すれ違う人素敵な人を見てはそう感じてしまっているのです。
劣等感が自分を包んで、悪い方へと引き寄せられてしまう。
自分は自分、他人は他人。
良いところも悪いところも人それぞれだと心の奥底ではわかっているのに、自分を責める方向に脳が処理してしまうのです。

「自分を好きになる」ということは「ありのままの自分を受け入れる」ことだと思うのですが、私にとってはすごく難しい課題のように感じます。
それは「過食嘔吐をしている自分」も認めてあげなければいけないからです。
過食嘔吐を悪者だと決めつけていた私にとって、今のままの私を受け入れることはできなかったのです。
ただ、「今日はおいしくご飯が食べられた」とか「掃除を後回しにしなかった」とか少しでもできたことを褒めてあげるところからであればできるような気がします。
当たり前のようにできている「時間通りに会社に行く」ことだったり、「挨拶する」ことだったり、そんな些細なことでも「よくやった!」と自分をほめてあげられたら、少しずつ気持ちが変わっていくのかな。
最初から完璧を求めずに、できることから始めていきたいと思います。

おすすめの本を紹介してもらう

号泣している私を気の毒に思ったのか、毎回そうしているのかはわかりませんが、先生が本をおすすめしてくださいました。
おすすめしてもらった本は「嫌われる勇気」☟


先生に「知ってますか?」と聞かれて「読んだことあります」と答えたのですが、先生には「聞いたことあります」と聞こえたみたいで、丁寧に本の紹介をしてくれました。笑
「読んだことあるのにな…」なんて思いながらも訂正できず、初めて聞いたような顔とリアクションで聞いてました。
なんだか申し訳なかったな…。笑
でも読んだのは1年くらい前なので内容はあまり覚えていなくて…。
ただ読んでみて良かったと思った記憶だけは残っているんですよね。
内容は覚えていないのに印象だけが残っているっていう事態。
私にとってはあるあるです。

先生は本の紹介を終えたあとに今まで説明してくれたメモ用紙を本に挟んでプレゼントしてくれました。
1年前は電子書籍で読んだので、今度は紙でもう一度読み直してみたいと思います。

診察終了

診察時間は1時間程度。
あっという間の1時間でした。
診察時に他にもいろいろ素敵な言葉をかけてくれた気がするのですが、私の記憶保持能力があまりにも低すぎてこれくらいしか思い出せません…。
次回からメモを持って行って、響いたことは書き留めておこうかと思います。

診察が終わって部屋を出ると待っている人が3名ほどおりました。
来た時とは違って、ちゃんと繁盛していて安心しました。笑
ただ泣きっ面で出ていくのが恥ずかしかったですね…。

今回は先生の診察だけだったのですが、次回から別の先生のセラピーを受けることになるみたいです。
内容は全くわかりませんが、何か課題が出されてそれをクリアしていくことで気持ちや思考の整理をしていくもののようです。
「課題が出るので診察から2~3週間開けてもらう必要はありますが、1ヵ月に1回くらいでも効果はありますよ」とおっしゃっていました。

早い方がいいかなと思ったので診察から1週間後にセラピーの予約をとらせてもらいました。
次回は診察のあとにセラピーの部屋に移動する流れになるみたいです。
また、セラピーを受けた後に感想をまとめたいと思います。

はじめて診察を受けてみて感じたこと

はじめて家族以外の人に症状を対面で打ち明けたことで、今まで自分のことをわかっているような気になっていたけれど、結局わかっていなかったのだと思い知らされました。
「自分を好きになる」、「ありのままを受け入れる」なんてことは自分に言い聞かせてきたし、それが大切だということはわかっていたけれど、ちゃんと言葉にして言ってもらうことでより腑に落ちた気がしました。
内省だけでは思考の堂々巡りで、人から言葉にしてもらうことで心への響き方は違うのだとわかりました。
人に話すことの重要性を実感することができました。
自分を自分で痛めつけていたことがわかって、こんなにも胸が締め付けられる思いになるとは思いませんでした。
こんなにも涙があふれ出るとは思いませんでした。

そして「過食があるからこそ精神のバランスがとれている」ため、「過食」という行動に肯定的目的を紐づけて、「過食」も悪者ではないと認識していいということが初めてわかりました。
「過食しちゃだめ」と思い込みすぎていることにも改めて気付かされました。
「過食してしまう自分」も受け入れてもいいんだと思うと、さらに涙があふれそうになります。

自分ではわかっている、知っている、気付いていると思っている思考や感情でも、人から言われるとどうしてこう心に響くのでしょうか。
今までの私は人に悩みを打ち明けることがどうにも苦手で、「結局解決するのは自分」と思ってしまっていたり、「この悩み事は他の人に伝えられてしまうんだろうな」とどこかで人を信用していない気持ちもあって、余計に人に言葉にすることを避けていました。
ただ、今回診察を受けてみて、「人に言えない」と思ってしまう人こそ、ちゃんと専門の人に診てもらう方が良いのだと思いました。

そして今回良かったと思ったことは、基本的には先生がお話をしてくださったこと。
あれこれ根掘り葉掘り聞かれず、過食症に悩んでいる人にありがちな思考パターンを先生が説明をしている中で、たまにYES/NOで返答できるような問いを投げかけてくださるだけ。
特に薬を処方されるわけでもありませんでした。
初対面の人には打ち明けにくいことであったり、理想とする未来は何なのか、そういう具体的な質問はされませんでした。
行くまでに勇気は必要だったけれど、行ってしまえば自分の思考や感情を先生が熱意を込めて代弁してくれるので、改めて自分の気持ちの確認や「そういうことだったのか」と新たに気付く視点もあると思います。
「過食しても大丈夫」とおっしゃってくださった言葉は、「そのままのあなたで大丈夫」というメッセージも込められている気がして、初めて過食症について話した相手に認めてもらえたと思う感情は何物にも代えがたいうれしい言葉でした。

号泣したのは想定外でしたが、大人になってから泣くことなんてないので、すっきりしたような気もします。
やっぱり「人に話す」ことの重要性を感じました。
私の場合は身内や知り合いには知られたくないと思ってしまっていたので、言ってしまうと自分の人生にはあまり関係のない「先生」という立場の人に聞いてもらう方が気が楽だったのだと思います。
ましてや専門家ですから、同じ悩みを持つ人をたくさん相手してきているでしょうし、お話をすることも慣れているでしょう。
やっぱりどんな分野でもそうですが、思い悩んだときは速やかにプロに相談すべきだと実感しました。

診察後の過食嘔吐の頻度

過食嘔吐で10年以上悩んできて、診察を受ける前は2週間程度毎日過食嘔吐が続いていました。
ただ、診察を受けた後は過食をしたくなっても、嘔吐はしたくないという感情が芽生えてきました。
どういう気持ちの変化なのか自分でもよくわかっていないのですが、「過食してもいい」という過食を認めてあげようという気持ちの変化から、それをなかったことにしようとする「嘔吐」の必要性が低くなったのかもしれません。
ここ数日、食べすぎてしまうことはあるけれど、帰り道にコンビニやスーパーに寄ることはしていません。
この良い兆候がどこまで続くのかが大切ですが、ここ数ヶ月ほぼ毎日過食嘔吐していた日々から、現状としては頻度が減っていることは事実です。

私のように摂食障害で悩んでいる人は、とにかく早く診察を受けてみることをおすすめします。
確かに病院によっては当たりハズレがあるかもしれません。
前の記事にも書いたのですが、予約が取りづらいことがあったり、せっかく行っても薬を処方されるだけの簡易的なものになることもあると思います。
近場だからという理由だけで選ぶのではなく、その分野に精通している病院を選んだ方が、克服に向けての1番の近道になるような気がします。

私の摂食障害克服に向けての道はまだ始まったばかり。
これを読んで、克服中の方も、克服しようと思っているけれど何をしたらいいかわからない人も、同じく悩んでいる私と一緒に前進するエネルギーが沸き起こってくれていたら嬉しいです。
そして、摂食障害とは縁がない人も、摂食障害について理解が深まって、何か言葉をかけてあげられるきっかけになれば嬉しいです。
完璧である必要はないので、今のありのままの自分を受け入れていく過程を楽しんでいきたいと思います🌷

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